日本再生医療学会

再生医療人の行動基準

2014年3月採択
再生医療人の行動基準

目次

Ⅰ.前文
Ⅱ.再生医療人の使命と守るべき価値
Ⅲ.行動基準
Ⅳ.背景

Ⅰ. 前文

1) 行動基準を策定した目的

この行動基準の目的は、再生医療の領域で、現在または将来活動する研究者、医療者、実務担当者、事業者、学生など(以下、再生医療人と略す)がそれぞれ、自らの研究や業務の拠りどころとなる基準(プリンシプル)を考え、身につけるために、その基軸となる再生医療人の使命ならびに守るべき価値を提示することである。また、再生医療人の行動基準を社会に対して明示することにより、社会の人々が再生医療人の活動と責任を理解し、活動内容や成果が信頼に足るものであると認知すること、再生医療人が適正に活動できるよう支援すること、ならびに、活動の環境が整備されることも目的とする。なお、「再生医療人」は、再生医療に関する医療や事業などに携わる人全体をさす名称であり、理念をもって行動する人という意味を込めて定めた。

2) 再生医療人の業務と責任

再生医療は、機能障害や機能不全に陥った生体組織・臓器に対して、細胞を積極的に利用してその機能の再生・改善をはかるものであり、幹細胞をはじめ、細胞培養加工品や人工材料などが用いられる。幹細胞には、組織に存在する体性幹細胞、胚盤胞の内部細胞塊を培養して作成される胚性幹細胞(Embryonic Stem Cell、ES細胞)、組織の細胞に因子を導入して作成される人工多能性幹細胞(Induced Pluripotent Stem Cell、iPS細胞)などがある。これらは、さまざまな細胞に分化する能力(多分化能)と、分裂しても分化能を保持する性質(自己複製能)を有し、病気の解明や再生医療・創薬への応用を通じて、これまで治療法がなかった疾患を治療できる可能性があるなど、人々の健康や福利が大きく増進することが期待されている。しかし、ES 細胞は、生命のもとである受精卵を壊して作成するという問題があること、またES 細胞に限らず、樹立した幹細胞株からは、生殖細胞を作成して個体が作られる可能性があること、細胞融合などによりこれまで存在していなかった動物種が作られる可能性があることなども考えられ、倫理的な問題から、安全性や心情的な問題まで、さまざまな問題が存在する。このため、幹細胞を用いてどのような研究や医療をどこまで実施してよいか、どの技術を何に応用してよいかなどの判断が必要となる。また、再生医療全般に関して、細胞提供者の個人情報をどう扱うか、臨床応用する際の患者の安全や治療に用いる細胞、細胞培養加工品・人工物等の品質をどのように確保するかなど、リスクや技術の管理体制についても多くの課題がある。再生医療人の活動は、人の生命や生活、文化的・経済的価値に大きな影響を及ぼすものであり、再生医療人は、社会に対して重要な役割と責任を担っている。したがって再生医療人は、専門知識や技能を有するだけではなく、社会的な責任を自覚して適正に行動すること、自らの行為の公共性を認識し、患者や市民をはじめとした社会の利益を優先することなどが求められる。

3) 職能集団と行動基準策定の必要性

再生医療人は、研究施設で研究や教育に従事する者から、企業などで業務を担当する者、医療・創薬関連の事業を行う者、医療機関で臨床研究や医療を実施する者まで多岐にわたる。携わる研究や業務は専門性が高く、リスクや利益を理解できるのは専門家のみであり、非専門家が見てもその妥当性を判断することは難しい。また、他の臨床研究などと異なり、一般市民が再生医療に関する研究などの活動を目にする機会は、臨床現場で再生医療を目的とした応用研究として接する場合以外ほとんどない。再生医療人が、社会的・文化的価値から大きく逸脱した行動をしたり、根拠が定まっていない技術を医療として提供したり、自分や所属する組織の利益のみを追求して行動したりすることは、再生医療に関する研究および臨床応用全体に対する市民の信頼を失い、ひいては社会全体の利益を損なう結果となる。再生医療人の業務や責任の特性を考えれば、専門職として独立性を保ち、自律的に活動することが求められる。それには、専門職集団を形成して研究・業務の質を担保し、自らの能力と責任、適正な活動をすべく努力していることを示し、自らの立場を確保するなどの自律的な機能を有することと、それを実現するための拠りどころが必要となる。また、再生医療人が不適切・不正な行為を行うこことは、再生医療人としての誇りや存在の健全性を毀損しうる。一方、再生医療に関する研究とその臨床応用の領域は、技術の進歩が早く、変化の度合いも大きい領域であり、ガイドラインなどのルールが成文化されていても時流に合わないこともありうる。また、再生医療研究の活動が他領域の専門家の業務に影響を及ぼしたり、個々の原則や価値の相克の間でどちらかの選択を迫られたりすることもある。再生医療人には、時々の状況に応じた適切な判断と行動が求められるが、このためには自らがどうふるまうかを判断するための基準、すなわち、再生医療人の使命や、使命を達成するために守るべき価値を持っていなくてはならない。これは、プロフェッショナリズムの核心部分を成し、取り巻く状況が変化しても変わらないものであり、他者から与えられるものでもなく、再生医療人一人ひとりが内に持つべきものである。また、これらの基準を他者(市民、他領域の専門家、研究出資者、雇用者など)に明示することで、再生医療人の基本的な姿勢(使命や価値、態度)が理解され、再生医療のコミュニティ全体に対する信頼や尊敬を得ることも期待できる。日本再生医療学会では、これまで数次の声明や宣言を出し、それが法や指針に反映されるなど、再生医療における研究や医療、政策の立案に先導的な役割を果たしてきた。今後も再生医療分野が健全に進展するには、再生医療人が責任を自覚し、主体的かつ自律的に活動することが必須と考え、行動基準を提示することとした。本基準は、再生医療人に遵守を求める規範ではなく、自らの基準を一人ひとりが考えて持つための基軸となる考え方を示すために策定したものである。この行動基準は、現在および将来にわたり再生医療にかかわる人全体、すなわち、細胞を樹立する者、樹立された細胞や細胞培養加工品などを使用して研究を行う者、臨床応用・商業利用をする者に活用されることを想定している。

4) 改訂の必要性

本基準は、常に見直し、注釈を加えたり改訂を繰り返しながら、よりよいものに発展させ続ける。

Ⅱ. 再生医療人の使命と守るべき価値

<研究者等の使命>

再生医療人の使命は、再生医療の研究や医療を通じて、人々の健康や安全、福利の維持・増進、公衆衛生の推進に貢献することである。再生医療の研究を健全に推進すること、医療を適正に実施することならびにこれらを保障することは再生医療人と専門家集団の責務である。

<守るべき価値>

再生医療人の活動は、さまざまな体細胞や生殖細胞、幹細胞、細胞培養加工品、人工材料、個人の情報などを用いることならびに、臨床研究や医療を実施する場合は人間を対象にするという特性があり、以下の点に配慮が必要である。

1) 人間の細胞、生命や尊厳、それをとりまく環境を尊重する

再生医療人は、人々の生命や尊厳、人格、福利ならびに環境に常に配慮して行動し、細胞の提供者や研究・医療の対象者の人格を尊重しつつ、プライバシーを適切に保護する。胚盤胞や体細胞などは、不要になったものを提供してもらったのではなく、社会全体の利益になるために提供を受けたものであり、社会の宝として大切に扱うように努める。細胞から樹立したES細胞やiPS細胞などを使用して研究や臨床応用を行う際も、提供者の意に反することのないよう適切に使用する。再生医療の研究および臨床応用やその成果は、一部の人の利益ではなく、社会全体の利益になるように努める。研究を実施する際は、細胞の提供者、臨床研究の対象者に対するリスクをはじめ、科学のコミュニティや環境、社会や文化に対するリスクも適正に評価する。とくに、人間を対象に幹細胞を用いる治療法を評価する際は、リスクと利益を比較考量し、リスクが最小限になっていることを確認することや、対象者の選択を適切にすることなど、対象者の福利の確保に努める。そして、予期しうるリスクについては予防し、未知のリスクが顕在化した場合にも適切に対応できる体制を整備する。リスクは少なくても、適正な評価を経ず十分な根拠が得られていない技術を医療として人に提供することはしない。また、細胞や細胞培養加工品などを用いる医療を提供する際は、その質や安全性、施術者や技術者の技能水準を担保するのも、専門家の役割および責任である。

2) 文化的・社会的価値を尊重し、再生医療の理念を尊重した活動を行う

日本では古来より、自然に対して畏敬の念を持ち、自然と調和して生きるという精神性を有しており、それは現在も息づいている。したがって、文化的・社会的価値を尊重して行動し、これらの価値を毀損しうるような行為、たとえば公序良俗に反することや、常識的な感覚から大きく乖離したことは行わない。再生医療の研究や技術を人間に応用する際は、生体組織や臓器の失われた機能の再生をめざすという再生医療の理念の範囲内で実施する。また、再生医療技術を人に応用する際は、安全性や品質、技術水準を確保するなど、十分な安全策を講じた上で実施する。そして、仮にこれらの対策では対応できない事象が起きた場合でも、患者、家族、医療者という限られた者の中で責任がとれる範囲であるという蓋然性が担保されている時に実施する。

3) 責任と能力を持ち、誠実に行動する

再生医療人は、専門知識や技能、経験を用いて社会のさまざまな要請や期待に応え、社会の利益の増進に貢献する責任がある。そのため、業務の遂行に必要な専門知識と技能を獲得し、それらの維持・向上に努める。また、再生医療人は、医療・研究における目的や方法、成果の意義を市民に正しく理解されるように説明したり、リスクや利益を適正に評価して開陳し、対話を通じて理解が得られるように努力することにより、社会から信頼を得るように努める。企業が利益を上げた際は、社会に還元できるように努める。また、再生医療人は、誠実かつ主体的に行動し、業務の適切性、成果の正確性や科学性が担保されるように活動する。同僚や他者の成果に対しては、適切な評価や健全な批判を行い、積極的に意見交換を行う。誤りなどを指摘された場合は、前向きに対応する。他者の知的財産についても尊重する。不合理な業務、データの捏造などの不正行為は行わず、不正行為に荷担することもしない。

Ⅲ. 行動基準

1. プロフェッショナリズムを有する

再生医療人は、専門知識、技能、判断能力、コミュニケーション能力を身につけ、責任のある行動をする。質の高い成果を創出するために、知識と技能の維持・向上に努める。同僚や学生、新たに再生医療の研究や医療にかかわる者が知識や技能を習得できるように、適切な教育・訓練、助言を与えるのも役割である。研究者等は、一人ひとりに自律性が必要であることを自覚し、主体的に考え、意見を表明し、他者との対話を通じて、問題の解決や目標の達成に努める。また、これまでに経験のない新たな課題は、検討の必要性を早い段階から認識し、どのような研究をどこまで実施してよいか、さらに、新たな再生医療の技術が出現した場合、どのような技術をどのような手順を経れば医療として人に提供してよいか、どの程度の安全性が保証されたら臨床研究に移行してよいか、などについて、適正な方法で選ばれたメンバーでワーキンググループを組織し、議論をした上で新たな方策や方針を決める。話し合いの内容ならびに結論を出した根拠は広く一般に明示する。ある課題について、再生医療人の間で意見が異なる場合も同様に、そのような結論に至った過程や根拠も含めて明示する。

2. 研究を適正に行う

再生医療の研究やそれに関連する業務を遂行する際は、以下に配慮する。

  1. 意義のある計画を立案する:病気の診断・治療・予防、生命現象の解明などに貢献する研究計画を立案する。
  2. 適切にデザインする:再生医療に関連する臨床研究を行う際は、目的に対し科学的に妥当な結論を導くために適切な手法を用いる。
  3. 研究は第三者機関による審査・監査を受ける:研究計画書は研究倫理審査委員会の審査・承認、ならびに研究実施中はモニタリング委員会などの監視や監査を受ける。
  4. 成果を公表・説明する:得られた成果は、結果の成否にかかわらず、客観的な立場から公表する。
  5. 細胞や情報を取り扱う方針を決める:細胞や情報の保管、廃棄、分配・譲渡などに関して、取り扱い方針を決め、細胞や情報を他機関に提供する際などは、それに従う。

3.リスクや利益を適切に評価する

再生医療の研究や医療を行う際は、人や環境、社会に対するリスクを適切かつ十分に評価するように努める。明白なリスクは避けるが、未知のリスクも適正に考慮し、細胞の提供者、臨床研究の対象者をはじめ、細胞を扱う者や市民への安全を確保するとともにリスクの予防に努める。再生医療の技術や細胞などを人に適用する場合は、対象者の福利の保護に努める。臨床研究を実施する前には、非臨床試験などで安全性を十分評価する。臨床研究を実施する際は、対象者へのリスクと利益を比較考量し、リスクが十分小さいと考えられるときに実施する。また、細胞などを人に移植した場合は、長期間モニタリングして安全性と有効性を確かめる。リスクの評価や管理については、考え方とその根拠、手続きなどを広く一般に明示する。医療として技術や細胞などを人に適用する場合は、根拠が定まっていることを確認する。

4.細胞の提供者や臨床研究ならびに医療の対象者の選択を適切にする

臨床研究に用いるための細胞などの提供を依頼する際は、対象者を適正に選択し、候補者には不当な影響が及ばないように努める。細胞等の提供に際しては、必要経費以外の支払いはしない。再生医療の臨床研究を実施する際はその内容に応じて、他の治療が適応にならない患者を対象にする、適正な評価ができる患者を対象にする、などの配慮をする。再生医療を提供する際も、当該患者への実施が妥当であることを確認する。

5.対象者の自律性を尊重する

細胞の提供者には、細胞の使用目的や内容、提供を依頼されている理由、幹細胞株を樹立して長期間使用すること、遺伝子解析等の実施、医療情報や個人情報の提供の必要性、匿名化の程度や情報の扱いの手続き、同意撤回の可否や手続き、提供の自由、知的財産は開発した部署に属することなどについて書面にて説明し、同意を取得する。再生医療の臨床研究の対象者には、研究の内容や目的、リスクや利益、コスト、参加の自由などについて過不足のない説明をし、疑問や不明の点などについて十分な対話を行った上で同意を取得する。臨床研究の対象者に説明をする際は、効果や利益を誇張しないように努める。再生医療の医療を実施する際も同様に、患者から同意を取得する。

6.提供者や対象者の福利を保護する

細胞の提供者、臨床研究や医療の対象者が不利益を受けないように十分な対策を講じる。臨床研究の対象者などに健康被害などが生じた際は、適切に対応する。また、提供された細胞や、樹立した幹細胞、研究や医療の必要上得られた医療情報や遺伝情報、個人情報などのプライバシーは、適正に保管する。なお、細胞提供者や対象者の健康や福利の増進に役立つ情報が予期せず得られた場合に、本人に返却するかどうかなどは、専門家集団が話し合って方針を決める。

7.透明性を確保し、社会との円滑なコミュニケーションを推進する

再生医療人は、市民、同僚、他領域の専門家、政策決定者、出資者、ジャーナリストなどのそれぞれに対し、自らの役割と責任を説明し、公正な関係性を築き、職場環境を整備するように努める。再生医療人は、研究や業務の内容(計画、手続き、管理・運営、進捗、リスク管理)について、第三者が検証できるように明確に示し、説明を求められた場合は、適切に対応する。特に、研究として行う際には、研究として何を実施し、技術として何をどう利用するか、リスクは何でどう対処するか、研究活動の成果は人や組織、社会にどのような意味や影響をもたらすか、何が可能で可能でないか、どこまでが明らかになっていて何を今後明らかにするのかなど、限界も含めて、合理的にわかりやすく、かつ過度な期待を持たれないように伝える。政策立案や意思決定をする人に対しては、過不足のない正確な情報を提供して説明し、公正な助言を行う。市民にも再生医療人の業務や役割、成果が正しく届くように伝えるための手段を講じる。メディア関係者および広報担当者等に対しては、業務や成果を正しく伝えてもらえるように努める。また、専門家集団として、省庁や市民、産業界、他の関連学会、他国の学会と交流することにより、研究や医療が適正かつ円滑に実施されるように努める。ガイドライン作成や改訂作業などにも積極的に参加する。

8.法やガイドラインを遵守する

再生医療人は、国内外の法や関連領域のガイドラインを尊重し、遵守する。それらガイドラインの内容と再生医療人の使命や守るべき価値が衝突することがあれば、どちらを優先するかを良識的、合理的に判断して行動する。判断に至った過程と根拠も他者にわかるように明確に、広く一般に説明する。

9. 不正行為を予防する

再生医療人は、不誠実な業務、データの捏造や改ざんなどの不正行為は行わず、不正行為に荷担しない。不正行為に気づいた場合は看過せずに指摘し、不正行為が抑制される環境を整備するよう努める。

10. 利益相反による弊害を防ぐ

再生医療人は、業務に影響すると思われるさまざまな利益相反(ある行為が、一方の利益になるのと同時に他方の不利益になる状態)を予測し、予防策を講じたり、経済的な利益は適切に公開するなど、弊害が起こらないように努める。

Ⅳ. 背景

<行動基準を策定した背景>

1998 年にヒトES細胞株の樹立が成功して以来、再生医療や創薬に幹細胞を用いる研究が急速に進展し、再生医療人は質の高い成果を生むことが期待されている。また、iPS細胞の出現により、より多くの研究者が幹細胞研究分野に参画し、市民からも益々期待されている。しかし、ES細胞の作成には受精卵を壊す必要があること、また ES 細胞に限らず幹細胞から生殖細胞を作成して個体の発生も可能になったこと、人に適用する際の安全性をどう担保するかといったさまざまな問題が存在している。研究が円滑に進むためには、再生医療人が社会から信頼され、市民に安心して細胞を提供してもらったり、臨床研究に参加してもらったりすることが必須であり、これにはまず再生医療人が責任のある行動、すなわち、必要な知識と技術を備えること、誠実かつ熱心に活動すること、社会の期待や要請に応えるために活動すること、をしなくてはならない。再生医療にかかわる研究者や実務者は、研究施設や企業、病院など広範に存在し、その活動や成果が信頼に足るものであることを示すためには、研究や医療を実施する個人や再生医療のコミュニティ全体が自律的に機能し、専門家集団としての姿勢や活動内容を開示する必要があるのは自明である。しかし、基本的な姿勢や価値は、他者から与えられるものではなく、一人ひとりが持っているべきものであり、自ら考え、内面化しておかなくてはならない。自主的に基準を考えるには、その基軸となる考え方が必要となるため、本基準を起草した。本基準は、2012 年に京都大学再生医科学研究所(再生研)が、臨床応用できる ES細胞の樹立のために胚盤胞の提供を依頼する体制を構築する機をとらえ、幹細胞を用いた研究や医療にたずさわる者の行動基準を作成し、共有することが必要であることを認識し、再生研のワーキンググループが作成に至ったものである。

<規範(ルール)ではなく基準(プリンシプル)とした理由>

人のふるまいを規定する原則としては大きく分けて、法のように容認や禁止(あれをせよ/これをするな)を示す「ルール」と、自らがどう行動するかを考える拠りどころ(これをする/しない)として各人が内に持っている「プリンシプル」がある。再生医療分野の研究は以下のような特性、すなわち、高い専門性を必要とすること、非専門家が見てもその過程や成果が適切かどうかを判断できないこと、複数の研究者による共同研究というよりもむしろ単独での業務が多いこと、基礎研究の占める割合が多く一般の人が活動を目にする機会はほとんどないこと、などを有している。また、研究の進展が早く、新たな課題が日々出現するのも特徴である。一方、幹細胞などを用いた臨床研究や応用については、これまで実施されてきた医薬品や医療機器の開発とは異なる側面があり、リスクや利益の予測が困難であること、安全性を確保したり効果の評価方法や品質管理の方法を構築する必要があること、新たな強毒性ウイルスの出現など経験のない状況も予想して対策を講じる必要があることなどの特性を有している。また、患者本人の幹細胞を用いる技術などの場合は簡便に実施できること、根拠がない技術でも医療として提供される可能性があるなどの問題もある。したがって、再生医療人は、他のプロフェッショナルと同様、問題や課題に対して主体的に考えて行動することが求められるため、受動的な姿勢にならざるをえない他律的な「ルール」では役に立たないのは明らかである。再生医療人が能動的な姿勢を有するためには、一人ひとりが身の内に自律的なプリンシプルを持つことが必須であり、その基軸となる考え方を策定することとした。私たちは、本基準をもとに、再生医療人、とりわけこれから研究者や実務者をめざす人たちが、それぞれ自らの行動基準を考え、備えてもらうことを期待している。

<配慮した点と策定の経緯>

1)草案の起草

幹細胞の研究に関する指針としては国外には ISSCR、MRC、NIH などが公表しているものがあり、国内には ES 細胞の樹立の指針、使用に関する指針、人への応用に関する指針などが存在する。プリンシプルとして提案されている指針はないが、本基準は、これらの指針との整合性を考慮し、さらにわが国での自然に対する考え方や原子力発電所の事故を通じて科学者集団に向けられた否定的な感情、臨床研究の歴史や研究実施体制における課題を考慮にいれた。再生研のワーキンググループでは、研究者等へのヒアリングや話し合いを通じて、指針は研究の現状に合わないことも多いこと、指針に言及のない新しい試みなどは実施しにくいこと、指針の改訂に時間がかかること、これらが研究の円滑な進展を阻害する要因になりうること、再生医療への期待が過度であること、健全な議論や対話がしにくいこと、などが問題点としてあげられた。したがって、再生医療人は、能力を有し、責任のある行動をすること、自律の必要性を自覚し、何が逸脱した行為であるかや、新たな課題が出現した場合は専門家集団で話し合って方策を決めること、それが実現される環境の整備が必要であること、さらには必要に応じてその内容を政府などによる公的指針の策定や改正に反映させるように努力することが必要であることを述べた。ワーキンググループは、2012年の2月から活動を開始し、数回の話し合いを持ち、2013年3月に原案を起草した。

ワーキンググループメンバー
  • 佐藤恵子 京都大学大学院医学研究科・再生医科学研究所
  • 鈴木美香 京都大学iPS細胞研究所
  • 中辻憲夫 京都大学再生医科学研究所
  • 末盛博文 京都大学再生医科学研究所
  • 佐村美枝 京都大学物質-細胞統合システム拠点

2) 日本再生医療学会の生命倫理委員会における検討

原案は、日本再生医療学会の生命倫理委員会にて検討し、行動基準の暫定版を策定した。その後、理事会の承認を経て、2014年に公表した。

「日本再生医療学会の立場表明」

<はじめに>

本学会の使命は、再生医療の進歩、発展及び育成を図ると共に人類の健康増進と福祉の向上に寄与することである。会員は、基礎や臨床の研究者、技術者、事業者、医療者など多岐にわたり、再生医学に関する研究や医療、事業などの幅広い業務に従事している。このため、本会は職能集団の性質を有する必要性を認識し、再生医療に携わる者が適切かつ円滑に活動できるように支援すること、活動する環境を整備することなど、再生医療に関する研究・医療や事業が適正に実施されるためにできるかぎりの努力をしつつ、再生医療の研究・業務に対する社会の信頼を得ることも本務とする。本会は、再生医療の研究や医療を実施する人は正統な研究者・医療者であること、再生医療に関する研究や業務を行う企業や研究機関などの組織には業務が適切に行われるように環境を整備することを求める。本会の機能ならびに再生医療の研究・業務に従事する者(以下、再生医療人)と、これらの者を擁する組織に実践してほしいことを以下に列挙する。

<本会の機能>

  1. 不正などの報告を受け、調査し、提言や調整を行う
    • 再生医療人が不正行為や社会通念から大きく逸脱した行為などを発見した場合、また、不正を是正しようとして不利な扱いを受けた場合、企業の研究者等が正当な業務をしようとして立場が危うくなった場合など、申し出を受け付け、適切に対応する機関(仮称:アドバイザリ委員会)を設ける。当該機関は、事実関係を調査し、提言や勧告、調整を行うことで、業務や人事が適正に行われるように介入する。申し出を受けたときの具体的な対応の手順や方法も提示する。
  2. 新しい研究課題等が生じたときに、実施の是非や方法を検討する
    • 既存の法や指針に抵触したり、言及されていない研究課題が新たに生じた場合、研究実施の是非を検討したり、実施する場合に必要な手続き等を検討するための機関(仮称:問題検討委員会)を設ける。課題が生じた場合の、委員会メンバーの選出方法、具体的な検討の手順や方法も提示する。
  3. 業務の担当者や新人の教育ならびに教育の支援を行う
    • 再生医療の研究・業務に従事する人、学生、新人などに対する行動基準を涵養するための教育ならびに、基礎知識や技術を習得するための教育が実施されるように支援したり、プログラムを開発して提供する。生命医科学の領域は急速に発達し、知識や手法の進展も早いため、学会は、再生医療人が最新の知識や技術を習得できるように、情報の提供や普及に努める。
  4. 研究者等が円滑に活動できる環境を整備する
    • 本会は、研究者等に必要な行動基準や倫理規定などの策定を行う。また、再生医療人を擁する企業や研究機関に対して、再生医療人が適正に活動できるための環境が整備されることを求め、そのための施策などについて相談を受けたり、助言を行う。

<再生医療の業務・研究の従事者に求めること>

  1. 自らの行動基準を持ち、自律すること
    • 再生医療人が使命を達成するには、知識と技術を有し、人の営みや環境を洞察する力を身につけ、適正な行動とは何かを自らが思考し、実践することを通じて、新たな知を創出することが必要である。したがって再生医療人は、外部にある規範に従ったりそのまま取り入れるのではなく、自らの行動基準を持ち、自律していることが求められる。本会は、自らの行動基準を考えるにあたり基軸となる考え方を示すための行動基準を策定した。各自が参照し、自問自答を通じて自らの行動基準を立て、適切に行動することを希望する。
  2. 不誠実な行為、不正を看過しない
    • 再生医療の研究や業務に関する不誠実な行為や不正、社会通念から大きく逸脱した行為を発見した場合は、看過せず、適切に対応する。所属する組織などで適切な対応が行われない場合は、本会のアドバイザリ委員会に申し出る。また、不正を是正しようとして不利な扱いを受けた場合や、正当な業務をしようとして立場が危うくなった場合、内部告発をしたことで不利益を被った場合も、その旨を申し出る。

<再生医療の研究・業務を行う組織に対して求めること>

  1. 再生医療人の知識や技術を向上させる
    • 組織での研究・業務が適正に実施されているかどうかを担保するのは組織の責任でもある。このため、再生医療に関する業務は、十分な知識や技能を有する者に担当させ、学生や新人には、必要な技能を習得したり向上する機会やプロフェッショナリズムを涵養するための教育の機会を提供する。
  2. 再生医療の研究・業務が適正に行われるための環境を整備する
    • 営利企業は利益を獲得しなくてはならず、また、研究機関は成果を上げなくてはならないため、業務の担当者や研究者等に有形無形の不当な圧力がかかることが考えられる。行き過ぎた利益追求主義や成果主義は、再生医療人に圧力をかけることになり、それが不適切な行動を生む要因となりうる。組織は、再生医療人に逸脱した行動を強いることにより、結果として社会に不利益をもたらし、社会からの信頼を失うとともに、再生医療人のプロフェッショナリズムを損なうことを認識する。このため、再生医療人が責任をもって適切に活動ができるための健全な環境を整備する。
  3. 社会貢献を第一とする組織文化をもつ
    • 再生医療人が正統な活動をするためには、再生医療人自身が自律していることは必要であるが、研究部門や企業全体も集団として自律している必要がある。したがって本会は、再生医療人を擁する組織に対して、組織全体が社会の利益を優先する方針を持ち、適正な業務の実践や促進を組織文化とすることを求める。